毛利の地盤を作った先祖代々~兄興元。地盤を活かし調略や婚姻関係なども活用した毛利元就。元就のサポートに徹し、規模を拡大していった吉川元春、そして小早川隆景。そんなできる男、隆景と、周辺状況を考察!
有力武将、小早川氏は養子作戦!
小早川隆景は、毛利元就の三男。竹原小早川氏の養子へ。
その後、盲目だった沼田小早川氏の当主にかわり、沼田小早川氏の当主も。
小早川家は水軍をもっていたけれど、海から離れた居城、高山城→新高山城でした。堅い守りの城ですが、水軍としての活躍を期待される(以下の図に出てくる乃美宗勝にも関連)隆景にとっては難しい課題でした。
のちに、軍港機能をあわせもつ城として三原城を築城します。
写真は、三原城
(今は新幹線が通っていますが、昔は海に囲まれていました)
小早川隆景 大内氏 村上水軍関連図
解説YouTubeは以下のボタンを(^^)
※ 主家毛利については全てに関わっているため記載を省いています。
- 強大な勢力、大内氏は、家臣陶晴賢の謀叛により倒れる。
- 大内氏の有力家臣らも離れてしまう。例えば内藤隆春。(毛利隆元姻戚にあたる。すべては計算)
- 陶晴賢が据え置いた大内氏の新しい当主は、九州の大友家から。傀儡政権(かいらいせいけん)がはじまる。
- 毛利対陶晴賢の戦で有名な厳島の戦い。こちらは当初毛利方は苦戦をしいられていた。
- 厳島の戦いの鍵は、村上水軍の動向。人を動かす手紙の文言で勝敗が決定。
- 村上水軍の到着まで時間がかかったため、小早川隆景は決死の覚悟を持って毛利元就のいる宮尾城へ支援にいく。
- 村上水軍が毛利に味方、以後も協力関係になる。
- 秀吉による1588年の海上賊船禁止令により水軍は所属先を明らかにする。
- 小早川隆景は、子がいない。養子をとるが、その2人の中に、あの小早川秀秋!(あの人です)
- 毛利家は、隆元若くして死→元春の死。隆元の嫡子輝元を、支えていく役割を担ったのが小早川隆景。
水軍とは?
伊予河野氏は、小早川隆景とは対立関係でないため、河野氏でのお家騒動の際は、隆景に仲裁に入ってもらいました。
伊予河野氏について、愛媛の城一覧記事は以下ボタンより
(リニューアル前サイトに記載)
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★三原グルメ★
三原には、みんな大好き!本格的なお好み焼き屋さん(地域によっては広島焼きと呼ばれています)
お好み焼きしずさん
カープ一色の素敵なお店です!ファンの方も集まる三原の聖地!よければ三原城から足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?
駐車場:数台あり 公共交通:JR三原駅からすこし距離があります