生野の銀!石見の銀!銀の産出フロー、搬送路!大阪での活躍?!

1,2,3・・・発破!

(この言葉の意味は最後に記載します)

今回のテーマは、「生野銀山」実際に探訪して感じたこと、背景にある歴史を探ろうと思います。

島根出身の拙者にとって、「石見銀山」が身近な存在だったので、兵庫県にある「生野銀山」にはぜひ一度行ってみたいと思っていました。

生野銀山は、兵庫県の真ん中にあり、南は姫路、飾磨。北は和田山。山名氏の領から、太野垣氏へ、秀吉の但馬攻めでは狙われ、以後は秀吉、家康、幕府の貴重な財源になります。

近隣の有力な城は、天空の城 竹田城

まずはおなじみ マインドマップで整理整頓♪

※ 9つの時期に分かれています。比較検証として石見銀山も掲載。

銀の運び出しまでのフローを解説

① 鉱脈を見つける、銀山を見つける 

…見分し、掘り進めて危なくないかも検証をとります

② 掘る 

…古来は手掘り。のみと槌で頑張ります。狸掘という狭い穴が所狭しと掘られています。

 機械化がすすむと、岩盤に穴をあけ、そこに火薬を詰め、発破!

③ 掘った後の石をかき集め、運びます。

…狭い坑道を運ぶのは至難の業。吹子で風をおくったり、

地下水をくみ上げて安全に掘り進めて運べるような仕組みがありました。

機械化が進んでからは、たての穴と横の穴をうまく組み合わせ、上で発破してかき集めた石を

下のトロッコに乗せて運び出すような仕組みができていました。

(知ってびっくりしますよ!最長で50メートルのたて穴も、あります!)

④ 運び出してからの精錬、運搬

…古くは、不純物を取り除いた後、灰吹法をつかって銀を取り出します。

みて改めて気づくのが、「生野銀山」とはいうけれど、「銀」「鉛」「金」「銅」なども含まれた石であること。

銀だけでなく、銅も精錬されていたことは記載されています。

トロッコの跡が残されています!

運搬路は、生野から瀬戸内に向かうルートでした。

「神河」「市川」「福崎」も通って、姫路の飾磨港から運び出されます。

フランス人の技師、シスレーが「馬車で運ぶルート」を整備するよう提案し、

今の「銀の馬車道」となったようです。

時代がさらに進むと、馬車から鉄道に代わりますね。

これが、「播但鉄道」であったり、「軽便鉄道」というものになります。

※石見銀山の場合、近くの港が「温泉津(ゆのつ)港」でした。

日本海側は、不安定な気候であることもあって苦労したそうで、

後半では尾道港まで続く陸路を整備していたようです。

銀山の技術は、戦でも活躍?!

1615年 豊臣秀吉の子、秀頼は一大名として大坂城にいたわけですが、徳川家康はそれをよしとせず、攻めにいきました。これが大坂の陣です。

その際、堅い守りを崩すために活躍したのがこの生野銀山のメンバーだったという事実!間宮奉行と呼ばれた彼が率いました。

当初、家康は、大坂城に通じる抜け穴を掘ろうとしましたが、土質が難しくうまくいきませんでした。

大坂城周辺は台地部分もありますが、湿地帯もあったからですかね。

そこで、堀を埋める事に。水をたたえた堀。

そこで生野銀山チームが活躍!生野銀山では多くの地下水がでてきますので、水抜きなどの技術力はピカイチ。数々の堀から水を抜いた間宮奉行。生野銀山でない地域の坑夫も率いていたとの話もありました。

大坂城は落城。水抜きの功績のあった彼らには、恩賞がでました。長堀、道頓堀、西横堀には彼らの代表者名が地名として残されています。

例えば、宗右衛門町!(ミナミの有名な歓楽街)

大阪の中心部に生野銀山で頑張っていた坑夫らの名が残っている!


生野の皆様、まちおこしの気合が半端ないです!

坑道内では、多くのマネキンがかつての様子を伝えてくれます。

まちおこしの企画として「 GINZAN BOIZ 」を結成したとか

ただのマネキンでなく、動きますし、動画でも登場します。

このあふれんばかりの「生野銀山愛!」たまりません。

ぜひ、あなたも 鑿SEVEN に会いに行ってみては?^^*

「発破!」は、以下記載の歌に出てくる重要ワード!笑 (くせになります)


生野城

アクセス:びわのまる公園を目指してください。車が数台止められる場所があります。トイレあり。

びわのまる公園より、登山道をてくてく… 車で行かれる方、道が細くて一方通行の道に囲まれているので、

お気をつけて!

城下町について

生野はかつてとても栄えました。そして、街づくりにつかわれた、大変面白い石があります。

カラミ石

精錬する中で生まれた、「不要な石」。固まってしまってただ破棄する以外に方法がないと思っていたそうですが、金属を含む素材のこの石。とても頑丈で、「溶けたものがかたまってできた」ため、四角い形であれば建築物の基礎部分としてもニーズがあるとのこと。リサイクルできるこの石!なんてすばらしい発想!

見た目が黒光りした独特のカラーリング。頑丈なこの岩。全国的にも販売されていたそうです。

直島(香川県)で銅の精錬をするようになってからは、この石も作られなくなったそう。


実は最先端?!福利厚生。

かつては珍しかった「健康保険にあたる制度」。

確かに、暗いところを掘り進めるには「勇気」「体力」も必要です。

もし落盤事故に巻き込まれたら亡くなってしまうかもしれません。

掘るだけでないさまざまな作業

 石を細かく砕いたり、運んだり、灰吹法で精錬するなど、多様な関わり方があったそう。

特に灰吹法は、鉛など有害物質を吸いこむリスクから、人体への影響は石見銀山でも言われていました。

また、落盤のリスクを負い、火薬を使用するようになった機械化で、必須の制度だったのかもしれません。

異人館を共済病院に作り替えた話もありますね!


生野銀山には驚きがたくさんありました!

銀山のお土産コーナーはワクワクするような品揃え

鉱山のひんやりした空間で、ワインや日本酒を熟成させています。

このプレミアムなワイン、日本酒は販売されているのでぜひ、お土産にいかがでしょうか?

kanikama

中学生のころからハマった歴史。特に当時いちばん近くにあったのが「広島城」。原子爆弾の凄まじい爆風を耐え抜いた石垣に惚れ込み、「最強の野面積み」を眺めることから城へ興味を抱くきっかけとなり、大学でも歴史を専攻。文書から見える歴史だけでなく、フィールドワークで得た体感を大事にしながら「よりリアルで背景とリンクした考察」めざして今にいたる。

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