津和野藩主坂崎出羽守は改名ヲタク?!

島根県西部の石見国。その中でもかなり長州寄りにある、津和野(つわの)は、古くから歴史的な逸話なども残る地で有名です。そんな津和野藩主となった通称、坂崎出羽守について、そして津和野について紹介します!

坂崎出羽守とは?

梟雄といわれた備前の大名、宇喜多直家の甥にあたります。つまり、坂崎というのは後からつけた名前で、元は宇喜多氏なんですねー。

※宇喜多氏については以下記事にも記載しています。

坂崎出羽守は、宇喜多直家の弟である宇喜多忠家の子

生まれた当初は宇喜多直行でした。

ちなみに、他の名は直盛知家・重長・信顕・詮家・正親・正勝・貞盛・成政など

※改名が多く、わかりにくいためあえて名を統一しています。宇喜多→直行、詮家。坂崎→出羽守

①宇喜多の内部分裂と宇喜多直行

1586年頃 家督を継ぐ。父は秀吉の直臣に。

1590年頃 宇喜多家は二つの勢力に分かれていました。宇喜多直行は、武断派!

  • 武断派 戸川達安・花房正成・岡利季・宇喜多直行ら。昔から宇喜多家に仕えてきた派閥です。
  • 文治派 長船綱直・中村次郎兵衛など、秀家の代になってから重用された派閥です。

派閥があることで、検地や宗教の問題、経済的なことでも意見の対立がありました。

宇喜多詮家に改名?キリシタンとしての活動

1594年 詮家、大坂城下でたまたま聞いたキリシタンの講話をきっかけにキリスト教に傾倒、小西行長のすすめで洗礼をうけました。洗礼名はパウロ。

禁教の流れでしたが、詮家は約束を破って備中で宣教活動をしてしまいました。その中でキリスト教徒になったのが同じく宇喜多秀家に仕えていた明石全登です。

1598年 豊臣秀吉が亡くなると宇喜多家中の対立が表面化してしまいました。

対立を抑えてくれた秀吉がいなくなる事で、武断派は、長船綱直の毒殺疑惑をきっかけに、文治派中村次郎兵衛を排斥するよう宇喜多秀家に言うなどの行動に出ました。

これに気を悪くした宇喜多秀家。武断派のリーダー・戸川達安を文治派が暗殺しようとしているという情報が宇喜多詮家に入ると二つの対立は決定的なものに。武断派が剃髪し宇喜多詮家の大坂屋敷に立て籠もった事案も発生しています。


最終的には家康が事態を収拾しました。結果、戸川・岡らは前田家に、宇喜多詮家らは増田長盛の預かりとなりました。これによって、宇喜多家の力は半減。

③宇喜多→坂崎姓に!きっかけは関ヶ原

1600年6月会津征伐。宇喜多詮家は東軍の家康側につきました。

1600年9月関ヶ原の戦い。元主君である宇喜多秀家が副大将の西軍とは、黒田長政隊付近で戦いました。

その恩賞として、宇喜多詮家は、石見国津和野3万石を与えられます。

津和野に入国する前後、名字を宇喜多から坂崎に改名。理由は、家康に「宇喜多は不吉な名字なので、改めろ」と言われた事だったそう。

坂崎出羽守、千姫を妻にしたい!大坂の陣からの活躍

1614年大坂の陣。徳川軍の一員として参加。

冬の陣では出番無しの坂崎出羽守

夏の陣では誰もが知っているほどの活躍。

物語では

千姫救出がいわれていますね。

燃え盛る大坂城の中を千姫を求めて探し、坂崎出羽守自らが火傷を負いながら救出に成功した。

事実?

山里曲輪に追い詰められた豊臣秀頼一行。

最後の望みとして、一行は千姫に秀頼と淀殿の助命嘆願を頼み、千姫を城外へと出したのです。

千姫は、堀内氏久らの護衛と共に家康の元に向かったのですが、なかなか先へ行けません。そこに堀内氏久が知りあいだった坂崎出羽守の陣に行き事情を説明し、そして坂崎出羽守が無事に秀忠の陣に届けた、という。

これによって坂崎出羽守は徳川軍の中で一番の活躍をしたことになります。

⑤活躍したはずが、話が違う?!坂崎出羽守の最期

さて、千姫を送り届けた後に悲劇がおこりました。

物語では

家康が「千姫を救出した者は彼女を妻にやる」と、公言していたにも関わらず、千姫は坂崎出羽守を嫌がり一目ぼれした桑名城主・本多忠刻と再婚しようとした。そのため、輿入れの際に千姫を強奪しようとしたけれど、失敗に終わり、坂崎出羽守は切腹しました。

事実?

公家衆にも顔が利いた坂崎出羽守

秀忠に千姫の縁談を依頼され、話をととのえたにも関わらず、千姫自身がそれを嫌がり、忠刻と再婚しようしました。

それを聞いた秀忠は、坂崎出羽守に縁談を破談にするように頼みました。そうしてしまうと、坂崎出羽守の面目が立ちません。そこで坂崎出羽守は「それなら人手には渡したくないので千姫を奪う。どうしてもそれが駄目と言うなら首を刎ねてくれ」と言い、人を集め始めてしまいました。

困った秀忠はなだめようと使いを出しても、一向に納得しない坂崎出羽守。そこで幕府の重臣は裏で坂崎家の家臣に手を回し「坂崎出羽守を自害させたら、別の坂崎家親族の者を立てて坂崎家を存続させてもいい」と伝えます。

1616年9.11 家臣達はお家のために、坂崎出羽守を殺し自害に見せかけます。

しかしこの計略が幕府にばれてしまい、「主人を殺すなど言語道断」と坂崎家は改易されます。

別に、柳生宗矩に説得され自害したという説も。

⑥津和野での坂崎出羽守

津和野にある坂崎出羽守のお墓。幕府をはばかってか『坂井出羽守』と刻んであります。

一部で酒井と名乗っていた説もあるため、その真相はよくわかっていません。


津和野情報(鉄分高めw)

津和野は、SL山口号の終着駅

津和野にはJR山口線が通っていますので、電車+徒歩でも楽しめます。

  • 山陰からは、

山陰本線→益田駅乗り換え、JR山口線→津和野駅

(このパターンだとSLは乗れません)

  • 広島方面からは、

広島駅→山陽本線→新山口駅→JR山口線→津和野駅

(SLの本数は少ないので事前にご確認を!)


おすすめスポット

津和野城 お城🏯

乙女峠 キリシタン関係

遠藤周作氏の小説「女の一生」にも出てくるキリシタン弾圧の地。遠藤周作氏は有名なキリスト教徒です。あら?坂崎出羽守、キリシタンでしたねぇ、、、。

鷺舞(さぎまい) お祭り

さーぎーまいっ!さぎのコスプレをした方々が練り歩きます。一度は見て欲しい!

源氏巻き お土産

昔からある、細長いあんまき^ ^ ファン多し!今でも帰省の時お土産に買って帰阪しています。

kanikama

中学生のころからハマった歴史。特に当時いちばん近くにあったのが「広島城」。原子爆弾の凄まじい爆風を耐え抜いた石垣に惚れ込み、「最強の野面積み」を眺めることから城へ興味を抱くきっかけとなり、大学でも歴史を専攻。文書から見える歴史だけでなく、フィールドワークで得た体感を大事にしながら「よりリアルで背景とリンクした考察」めざして今にいたる。

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