分析にあたり、この2日間に ニッポン城めぐりアプリの兵庫県104城に加えてさらに10城以上追加入力しました。現在116城に。
その追加したお城というのが、、、
山城の最強防備、畝状竪堀のあるお城!
まるで、戦国時代の滑り台みたいですよねー!
※実は、滑り台ではありません※
その正体は、、、
視界の良くない山中に突如現れた、
深く狭い道。
そこを通らねば本丸へ攻め上がれない、、、
頑張って登ったその先には、、、
↑ さすがにこれには驚きましたね😂再現されてました。
この攻撃には様々形式があるようで、
狭い道にやってきた兵たちを
- 同じ高さから攻撃するパターン
- 上から攻撃するパターン
- 畝の上から攻撃するパターン など諸説あります。
今回写真撮影に成功したのは、播磨は上月城(こうづき)至近にある、毛利方の拠点 仁位山城。(兵庫県佐用町)
※播磨地域 にも多くあります。まだまだ情報が少なく、収集中です。
古くは赤松氏ゆかりの武将が多く関わっている事がわかります。作用は赤松氏発祥の地ですからねー。
この地域において畝状竪堀を持つお城の共通点は、
毛利が関わっている事。
※九州では秋月氏が畝状竪堀を得意としていますね。秋月型、毛利型に分類されています。
歴史背景 播磨上月城地域と畝状竪堀
赤松氏は、嘉吉の乱で山名氏に負けてしまい、城山城で69人の自害。そこから復活をとげるも また苦しい状況に。
織田の台頭、秀吉の播磨攻めがあり、西播磨はさらに激戦区に。
赤松氏の中から毛利に味方するものが現れる。毛利の援軍もあり、城は毛利色が濃くなる。そして強い毛利。
ちなみに軍師 黒田官兵衛は織田、秀吉配下。
毛利方に与する上月城との戦の際は官兵衛の奥方の姉(義姉)が城主の妻だった。官兵衛は悩みながらも落とすことになる。みせしめで200人以上磔にした話も。義姉は、、、?義姉の墓が讃岐にある事から、逃げおおせた説が!
その後も、毛利は諦めず、至近の仁位山城などの拠点から、城主が山中鹿之介らに代わっても戦っていたといわれる。その仁位山城の守りには畝状竪堀が採用されていた、という事。
22本を超える畝状竪堀。二段に分かれて展開する巨大な軍事施設。
実際に 保存状態が良い(整備されてる)畝状竪堀をみたい方へ、仁位山城をおススメします!
仁位山城へのアクセス
仁位山城については、上月城歴史資料館の中で情報を得ることが難しいです。地図をみながら、仁位山、城の東側へ向かいましょう。山城へGOの幟を見つけられたら、上のような場所まで近い!自由開閉できる扉をあければ、さらに車で展望台駐車場に行くことができます。
運動不足解消を希望するかたは、是非手前からあるいてみては?^ – ^ ※ただし、駐車できそうな場所は一台までで、正式な駐車場か怪しいためお気をつけて。
時代だからとはいえ、あまりに多くの命が失われてしまった上月城。上にある最後の一枚は、本丸にあった墓碑です。
上月氏あと、織田、秀吉方について毛利と戦った山中鹿之介ですが、彼の苦悩については、別記事にて(月山富田城🏯と合わせて)記載しようと思います。
参考にした本 中世播磨250の山城
木内内則氏 著 じつに、これが素晴らしい
等高線入りの図にしっかり遺構の場所が掲載、城攻めできをつけねばならぬマダニ出没の注意まで😂
購入は、利神城(りかんじょう)近くの道の駅で可能です!ちなみに利神城は、現在も道が危険なため登ることはお勧めできません。城友さんは、堀切に阻まれたと仰ってました。
神媒体!
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西播磨ツーリズム様 ありがとうございます😊
山城を生かした観光戦略を練られていて、レベルの高い山城を感じてもらえるよう努力されています!
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