四国平定に必要なのは口実と後ろ盾!

現代社会でも、新プロジェクトを立案しても、過半数以上の合議を得ないと会議が進まない場面、ありますよねー。うまく事を運ぶためには「根回し」「権力者の理解」が必要不可欠なんですが…これ、長宗我部元親らが、四国平定という、約176城のトップに立つための策だと感じています。

※176城という数ですが、小規模砦で登録するか迷っている城も多く 今後追加されることがあります。

・上の段 14城 が 長宗我部氏が

もともと持っている。もしくは養子作戦などで獲得したり、戦で獲得するなどの後 城主として滞在していた城。

・下の段 33城 は、 長宗我部氏が

攻略、城主を討つ、もしくは倒そうと試み侵攻し、実際に落とせた城 もしくはそうでない城で、城主としての滞在が確認できないもの を入力したものです。

長宗我部氏が 直接関わった城郭が 49城。四国全体約176としてもかなりの割合ですね!

・では、残りの約127城は一体…?

長宗我部元親の代で成し遂げた四国統一とはいいつつも、実際は「香宗我部氏」などもともと関係の深い一族や、長宗我部氏の勢いを恐れて臣下へ下った香西氏や香川氏が協力していた例もあります。 伊予国は長宗我部の侵攻といった文字は少ないかもしれません。元親の弟である吉良親貞による南予の戦はありますね。

☆ 参考 愛媛一覧(伊予国) ☆

城だけのデータだと、どうしても見えない部分がでてきます。以下補います。

戦国時代は、河野氏 宇都宮氏 西園寺氏で割拠。河野氏はお家騒動により、同盟国毛利に頼る体制に。

河野氏と長宗我部は敵対していたと言われています。小早川隆景による仲裁の記録も残っています。以降毛利と長宗我部は敵対してる様子は見られませんでした。

あらあら、長宗我部氏、織田、毛利とは二重外交を、、、!

伊予は広く、長宗我部元親の弟、吉良親貞を中心に南予から攻め上がったともされています。南予を収めていた西園寺氏は大変困っていたという記録も。

東予については、国衆と同盟を結んでいた事も明らかにされていますね。

※むしろ伊予は小早川隆景(毛利方)の影響が大きい。毛利、東予とは争わず、阿波や讃岐と同時進行で平定を進めてきた!

こちらでは、長宗我部氏が実際に進めた「根回し」にあたるものを紹介します。※諸説アリ

長宗我部氏は、まず 当時デビューしたての 織田信長に注目します。 長宗我部氏は、土佐国で有力と言われた「土佐七雄」の一つにすぎず、様々な作戦(自分の子供を他七雄の養子にするよう送り込む)で徐々に勢力を拡大していました。 当時多方面に敵がいた信長にとっても、四国の有力な武将を敵に回すことのリスクなどから長宗我部氏の親和外交には渋々応じていたようですね。この親和外交は、明智光秀に仲介してもらって実現したようです。

ところが、頼りにしていた光秀による「本能寺の変」で状況は一変します。

織田信長を失い、そして明智光秀も…。有力と思われた秀吉は、「関白」の地位を得るなど権威に弱い日本人の性格を理解した効率の良い天下統一事業を引き継いでいます。「朝廷のお墨付き、地位がある人」に逆らったらどうなる?といった不安を煽り、気の弱い人は戦わずして臣下になってもらおうといった、戦の省エネ化を推進するというやり方です。

普通に考えると、秀吉は敵にはしたくないタイプです。今回の長宗我部氏の場合は、不運なことに、秀吉から見て「憎き敵 明智光秀との繋がりがあった人たち」です。リスクなしに後ろ盾をお願いするには厳しい状況でした。

そこで、当時秀吉と対立していた徳川家康・織田信雄連合軍へ協力するといった形を選びます。徳川家康は 織田信長生前時は「同盟国」として関わり、亡き後は息子織田信雄を支える立場として秀吉と対峙していました。長宗我部氏の選択はうまく行ったようで、このとき四国を平定することに成功します。

が、しかし・・・

数ある戦国武将のなかでも「負け戦」の多さで有名な家康です。小牧長久手の戦をきっかけに、連合軍の相方 織田信雄が勝手に秀吉と講和条約を結んでしまいます。悪いことは重なり、長宗我部の「後ろ盾」的存在の家康も秀吉の臣下になってしまいます。

当時 阿波の近くに 淡路島があり、水軍の拠点としても優れた機能をもつ 淡路の洲本城には 秀吉傘下の仙石秀久もいました。 

目論見どおりに運んでいたはずの 長宗我部氏の四国平定 でしたが、ついに 敵対したくなかった秀吉と 真正面から戦うことになってしまうのです。

kanikama

中学生のころからハマった歴史。特に当時いちばん近くにあったのが「広島城」。原子爆弾の凄まじい爆風を耐え抜いた石垣に惚れ込み、「最強の野面積み」を眺めることから城へ興味を抱くきっかけとなり、大学でも歴史を専攻。文書から見える歴史だけでなく、フィールドワークで得た体感を大事にしながら「よりリアルで背景とリンクした考察」めざして今にいたる。

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