あわ阿波!?管領細川氏を倒した三好長慶の政治力

三好長慶といえば、兵庫県西宮市にある「越水城」を拠点にした武将。地元に歴史上重要なお城があるといった印象がない西宮市民は多いと思います。

西宮は、海沿いには街道があり、交通の要衝。かつては「摂津国」にはいっており、赤松氏らで有名な「播磨国」とは少し距離があり、むしろ幕府の位置する「山城国」「京」に近く、天下統一を欲する武将たちが多く争うレッドオーシャンだったのです。そこで地元「阿波国」から出てきた三好長慶が、拠点として過ごしていたのが越水城。

三好長慶(ながよし、ちょうけい)は、下剋上を語る上でもよく聞く有名人。とは言っても、「三好長慶をちゃんと説明して」と言われると、とても難易度が高い。原因は2つ。権力争いの構図が複雑なのと、登場人物の多さ。どの解説を読んでも図がほとんどない。よくわからん人物名が羅列されている。あったとしても、将軍家と三好長慶など、とにかくピンポイント…。全体を鳥瞰図みたいに把握したいねん!そんな要望におこたえできたら良いなと思っての投稿です。

人にはいくつの敵がいる?

三好長慶を語るには、まず「敵」の種類を洗い出していく必要があります。

そこで、現代人が課題に感じる人間関係図と比較し、整理してみました。

現代人

  • まず、中心には「わたし」がいます。
  • 自分のチカラが及びにくい、すこし困った相手を上に並べていきます。
  • 決定するに当たり影響力の大きい人、仕事で関係する「取引先」もしくは、「ボス敵存在のママ友」など、駆け引きが発生してしまう人々も配置します。
  • 下の部分には、自分と同等もしくは自分の影響力を及ぼしやすい人々を配置します。
  • 介護課題や相続問題などでぶつかってしまう「親族」、なにかと比較されて意識する「兄弟」、仕事で関わる「部下」「同僚」も入るかもしれません。

平和な現代でも、取引先で困った相手がいて、思うような成果にならない悩み事を抱えたり、パワハラに困っている事例もよくききますね。そして、身内、家族であっても、介護や相続などの課題が発生する事で、良好な関係構築が難しくなります。部下の対応で悩みを抱えている方もいらっしゃいますよね。

現代での「政府」「公権力」というのはイメージがつきにくいかもしれませんが、公権力との戦いをしている方もいらっしゃいます。(政治献金や癒着問題、政治家とのコネクションから制度面を変えていこうとする形式等)

現代における戦が「専門家を通じた書面でのやりとり」、「裁判」や「けんか」などだとすると、戦が行われていた戦国時代はどうなるのでしょう。

戦国時代・三好長慶

図に名前をおとしこんでみました。色分けでどの立場かを明らかにしています。

 ※ わかりやすくするために簡略化しています。

平和に生きていこうとすると、まず「親族」「兄弟」「部下」とは喧嘩しないほうが無難ですね。より、平和にいこうと思うと、上の勢力とも均衡を保っておとなしくするのが楽な選択肢と思います。

ところが、三好家がそんな「ことなかれ主義」な人たちであるわけがないのです。

長慶目線

  • 遊佐   →戦もしたが、敵に回したくないので同盟国にした。
  • 木沢   →敵対しており(父の仇)面倒であったが遊佐が倒してくれた。
  • 細川晴元 →管領という政治上重要な立ち位置にいた上司。仕えていたが、自分の親族「政長」をひいきしていたので気に入らず、最終的には追放した。
  • 細川氏綱 →晴元のライバル。最初は対立していたが、晴元との関係がこじれたので支援することにした。
  • 三好政長 →叔父だが、父の敵。(一揆を晴元と共謀したせいで、長慶父は殺害されることになった)政敵。
  • 兄弟   →とても協力的な関係○
  • 松永久秀 →優秀な家臣。長慶生前はおとなしく仕えていた。
  • 三好三人衆→突飛な行動をする彼ら。公権力に対しても驚きの行動力。長慶死後に色々起こしてしまう。
  • 幕府   →細川晴元と喧嘩別れ.。13代将軍義輝も近江・朽木に追放します。

簡略化していくと、周辺の関係者と揉めていることが見えてきました。次は、こんなに戦が多いの?と思われた方へ、より正確に三好長慶がこうなった経緯をお伝えしていきます。


三好長慶の父親・元長から戦の火種はまかれていた!

三好氏は「阿波国」を出自とする一族ですが、三好之長の代から、讃岐にも勢力を広げていた管領の細川氏に従って畿内へ進出したともいわれています。阿波に「三好」という地名がのこっていますね。

(ちなみに広島の「三次」は、三好氏とは相関性はありませんでした)

細川晴元の重臣だった元長は、摂津国・山城国にまで勢力を拡大します。

晴元の政敵であった細川高国も、元長によって滅ぼすことに成功している有能な重臣でした。

それを不安に思った晴元は、直接手を下すのでなく、三好政長・木沢長政と手を組んで「本願寺勢力」へ「一向一揆」を起こすように働きかけました。

戦国時代には僧兵がパワーアップしており、地域の民衆をまきこんだ一向一揆は思いもよらぬ勢力に拡大し、一向一揆を鎮めるよう向かった元長はそのなかで命を落とします。

当時幼かった長慶は、堺にいたのですが、安全のためにと阿波国へ逃げました。

そんな因縁の相手、細川晴元ですが、大きな誤算があったようです。

「本願寺勢力」は、再度一向一揆を起こします。

この時は細川晴元に対しての一揆でした。抑えきれなかった晴元。

自らの策謀で陥れた元長の子・三好長慶に和睦交渉に入ってもらい、事なきを得ることに。

※一向一揆は、後に、あの石山本願寺にもつながります。

そして、三好長慶が引き継いで本格稼働の第二段階

紫の彼らは敵対勢力。

ピンクの彼らは戦の状況で敵や味方になる勢力。特に遊佐の動きは要注意です。

※畠山稙長。正しくは「稙」の字です。

実際に戦となった戦(実線)が多いのが特徴。(参考;毛利は調略が多いので点線が目立つ)

塩川氏が三好長慶と戦になった際に協力したのが伊丹・木沢・三宅らです。

遊佐は、細川氏と同じく「幕府より一定の権力を与えられた管領家」の一つ、畠山氏をかき回していきます。

※高屋城と畠山氏※ 畠山稙長のいた城は「高屋城」。河内国守護の象徴のような城であったため、城主は30回以上いれかわったといわれています。長慶が、畠山高政を支援し奪回させた経緯もありましたが、結局仲違いで長慶弟の実休を置くなどの対応もしていました。長慶の死後は、松永久秀や三好三人衆が関わり、激しい戦が行われています。


晴元との確執

父の仇として政敵でもあった三好政長。三好長慶にとって、政長が好きにしているのが許せません。

その中で、「細川家の対立」を利用する形となりました。

叔父政長を戦で倒し、晴元を時の将軍義輝とともに近江の朽木へ追放。

当時は京に近い芥川山城(現在の高槻市)に居を移していた三好長慶。

将軍を追放し、有力管領をおいやり、遊佐と協力し

細川氏綱を助けていく体制に変革していきます。

最初に掲載した関係図のほぼ全部を自分の思うようにすすめてきたというところです。

さて、どうにもできないのが「健康課題」

飯盛城にて、1563年に病死します。

三好長慶の政略・戦略は引き継がれるのか…?

三好長慶は、政略結婚をしており、遊佐長教の娘を妻にしています。その際、元にいた波多野氏の娘と離縁。

子にはめぐまれず、三好家は養子の義継に継がれています。

この義継の代に台頭してきたのが「三好三人衆」

この3人衆。もともと功績の多かった松永久秀でも手に負えない仕事のやりかた。おまけに織田信長の台頭、足利義昭を連れての上洛。

「信長包囲網」として、一向一揆勢「本願寺派」も出てきて中々のカオス状態。息子義継は、父長慶のようにうまく抑えられず、三好家は滅亡してしまいます。

松永久秀、三好三人衆のその後、詳細は以下に続編がありますよー!


三好家の影響力を拝見!(畿内・中四国の中から三好関係を洗い出し)

三好氏が築城 11城

三好氏が城主として入った形跡あり 23城 続100名城多い

三好氏が戦などで関わり有り 9城

地域分析でも、大阪・徳島に集中していることもはっきりしてきましたね。


関連城(拙者探訪済み・資料提供有り)

飯盛城(大阪府大東市)こちらは伸弘殿、実際にも探訪!

2021.7.5更新!

高屋城(大阪府羽曳野市)

古市古墳群の中に、高屋城の本丸が置かれたとされる安閑天皇陵が。立ち入りできず、遺構も雰囲気だけ感じ取れる部分はあります。立て看板は2箇所。戦で激しく損傷し、そこから城として使われなくなってしまったので、現在は宅地化が進んでしまっています。

家原城(大阪府堺市)

奈良時代の僧、行基が生まれた家原寺の近くにあり、ため池や用水整備の遺構が見える中で小高い山あり。それが城の本丸と思われます。宅地化が進んでいるため、雰囲気はそれとなくあります。

原田城(大阪府豊中市)

豊中の住宅地の中に小高い場所があり、そこが原田城です。周辺は狭い道、曲がった道があり、城があったことを感じさせてくれるお城です。

kanikama

中学生のころからハマった歴史。特に当時いちばん近くにあったのが「広島城」。原子爆弾の凄まじい爆風を耐え抜いた石垣に惚れ込み、「最強の野面積み」を眺めることから城へ興味を抱くきっかけとなり、大学でも歴史を専攻。文書から見える歴史だけでなく、フィールドワークで得た体感を大事にしながら「よりリアルで背景とリンクした考察」めざして今にいたる。

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