喧嘩禁止!大内氏の滅亡の原因はうちわもめ?!~山口の城一覧と背景の人間関係~

毛利を中心にまとめさせていただいていましたが、今回は、歴史もあり、強大な勢力を誇っていた大内氏を中心にまとめてみました。素晴らしい能力を備えた魅力的な当主の多い大内氏だけに、この悩みは奥が深い!2021年11月23日に更新しました!

★トップの写真★  角島大橋 伸弘殿提供

★城一覧の協力★ 備前国 小野田殿

今回の疑問

「家柄もよく最高の立地。お金持ちで幕府にも気に入られたはずの勢力が、なぜ天下を取れなかった?」

まずはいつもの一覧から。

周防・長門国は、 ニッポン城巡りアプリ+日本の城辞典で、

118城ありました!(実際はもっとあると思います)2021年11月23日更新

※ 内部での騒乱に関する記載あり。


家督争いの多い大内氏

なんとまあ、家督争いの多い大内氏です。

以下家系図。同じ色同士えで対立、赤字は敗者。

兄弟同士が多いですね。

教弘は、大内持世の養子に行っています。

※こちら記載は一部。

家督争いの多さ、戦の記載から見る大内氏

 以下、マインドヒストリーマップです

解説動画 公開しています! ★

解説図のポイント

  • 初期は庶流の鷲頭氏との対立からはじまります。
  • 対九州の対応が議論に上がってきます。
  • また、石見国や長門勢力が出てくるのも周防大内氏の特徴。

信頼できそうな有力家臣には、陶氏や内藤氏が有名ですが・・・・

内情を明らかにしてみるとこうなりました。

他にも、右田氏や杉氏がいます。 彼らもなかなかのくわせものの気配。

陶晴賢の裏切りについても、家臣らは様々な意見をもち、陶に味方したり、

そうでなく毛利に降りたり、おおきく二分されてしまいました。

毛利元就による防長経略で、多くの家臣が戦わずに従う形をとりました。


山口(周防・長門)の城分析 毛利VS大内、多いのはどっち?

大内氏に関係しているお城、毛利に関係しているお城を、上記118城から抽出してみました…

以下のようになりました。

2021年11月23日時点の分析としては…

思ったより大内氏が多い…!!!!(大内氏家臣団が…)

そして、山城の多さ。

参考:兵庫一覧は445城あるうち、109城が平地のお城でした。

(全体数の四分のⅠ)


かにかま編集後記

どんなに足利将軍家から信頼されたり、最強を誇っていても、内部で分裂していては、結果まとまらない。家臣らが巻き込まれて、家臣をきっかけに滅亡してしまいました。

そんな家中の悩みを抱えていたのが大内氏でした。

前回記載していた内容では、

大内氏は貿易をしており、その利益を得ていました。

政弘は分国法を定めるなどで、より自身の凄さを見せつけ制度化を試みましたが、

その甲斐なく、最終的には義長の代で終わってしまいました。


★次回予告★ 更新しました!

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kanikama

中学生のころからハマった歴史。特に当時いちばん近くにあったのが「広島城」。原子爆弾の凄まじい爆風を耐え抜いた石垣に惚れ込み、「最強の野面積み」を眺めることから城へ興味を抱くきっかけとなり、大学でも歴史を専攻。文書から見える歴史だけでなく、フィールドワークで得た体感を大事にしながら「よりリアルで背景とリンクした考察」めざして今にいたる。

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