瀬戸内海に面していて、大阪も近く、軍事拠点を築くにも適した讃岐。唯一の欠点があるとしたら、雨が少なく大きな河川がなく、稲作にはかなり辛い環境であった事。ため池事業を進めた空海の話は有名かもしれません。
冒頭の写真は、ご当地キャラクター?天空のなかま うどん。勝手に贔屓の球団のアレンジを効かせてしまいました😂
うどんに適した国産麦の栽培が行われたのは必然で、城を入力して居る際に調べていた戦の内容に、敵方の領土の麦畑を荒らすなどの内容が見られたのは讃岐ならではと感じていました。(他地域は、青田刈り、収穫前の稲を刈るなど)
城は、45城入力済み 2021.05.27時点
(城巡りアプリ➕畝状竪堀ありの支城を1つ追加)
讃岐国にはどんな城主たちが?
そんな香川には、守護である讃岐細川氏。
そして細川氏には、細川四天王とよばれた家臣らがいました。彼らは、1467年勃発した応仁の乱において、畿内で活躍した四名です。
- 安富盛長 東讃岐雨滝城主(東讃守護代)
- 香西元資 東讃岐勝賀城主
- 奈良元安 西讃岐聖通寺城主
- 香川元明 西讃岐天霧城主(西讃岐守護代)
この図からも、四国は、土佐七雄である長宗我部氏が台頭し、土佐だけでなく讃岐にも侵攻している事がよくわかります。
安富 奈良 香川ら三氏については、打倒長宗我部。
香西氏は 長宗我部に、従う形をとっていたため讃岐国内では戦の記載がありました。
珍しい苗字で十河氏がいます。そごう と読みます。彼らも長宗我部氏と戦う姿勢であった事から、戦になります。十河城の守りの堅さもあり、二度にわたり厳しい戦に。
長宗我部氏の猛攻も、詳しく分析していますので次の更新をお楽しみに!その後の、さらなる悲劇がやってきます。
もう一点讃岐の特徴
古代史を学んでいると 663年 白村江の戦は
当時の倭国にとって大きなターニングポイントだった事を感じます。
讃岐にも、瀬戸内海に面しているため、古代式山城が築かれていますね! こちらは、瀬戸内海周りの入力をしていて現れているタイプのお城です。神籠石式山城 という形式は共通点かもしれませんね!(入力していて他府県でも似た事例あり)
石垣、石積み好きな方へ
※神籠石(こうごいし)とは?
九州から瀬戸内にかけて、推古年代にかけて築かれたとされる列石のこと。使用目的に諸説あり、神籠石式山城として城であったという説が有力だけれど、謎は多くあります。
九州式と瀬戸内式で、形状は異なりますが、
讃岐城山城(さぬききのやまき 香川)(未探訪)
鬼ノ城(きのじょう 岡山)など、
16箇所が確認されています。
城山城について、調べた資料には白村江との関連性がうたわれていました。
おそらくお城によってはそうでもないのがあると考えた方が良いでしょう。
鬼ノ城のような巨石もありますが、城山城のような石積みのパターンもあり、色々楽しめそうです。
ぜひ一度旅の中に「神籠石」を組み込んではいかがですか?
四国には四国八十八ヶ所とされた寺がありますが、讃岐には空海(弘法大師)の足跡が多く残っています。
城跡に神社やお寺がある事は珍しくもないと思いますが、讃岐は殊に目立ちますね。
関わる僧侶や人物が歴史上有名な方なのも、より興味深く回れるポイントかもしれません。
※一覧表をクリックすると、拡大してみえるので、有名人探しにもぜひご活用ください。