近江八幡といえば、水郷めぐりに美味しい近江牛など、人気の観光地。実は、この水郷、地元民の強いこだわりで生き残っていました!賑わっている大阪万博でも各ブースでテーマになっているSDGsの考え方、「社会のために」という理念はこの近江の地から?!有名な伊藤忠に丸紅や世界のトヨタなど大企業の故郷がこの近江…近江商人発祥?!そんな近江(滋賀)の歴史も深堀りしていきます。
琵琶湖:観光遊覧船ミシガン
1982年(昭和57年)4月29日に就航した、びわ湖を代表する遊覧船。
滋賀県と友好姉妹都市である、アメリカ・ミシガン州との国際親善を祈念
ミシガンは全国にあるレストランシップの先駆け!
後部パドル(外輪)だけで実際に航行するめずらしい船。
関連文学作品(大津)
『成瀬は天下を取りにいく』宮島未奈(京大出身)先生
2024年4月発表!本屋大賞にも選ばれました。
あらすじ
滋賀県大津市を舞台に、主人公・成瀬あかりの中学2年生の夏から高校3年生の夏までの間の出来事を描く5編。
【ミシガンが出てくる箇所】
滋賀県で開催される全国高校かるた大会に広島県代表として出場する西浦航一郎は、他校の出場者で高校2年の成瀬に一目惚れし、幼馴染の中橋結希人の協力もあって成瀬とデートの約束を取り付け、琵琶湖の観光船ミシガンに案内される。
湖の駅おいしや
乗船場から近い場所にあり!成瀬が食べたというコロッケ定食のお店!
近江八幡のスポット
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)
市名の由来になった場所
古くから近江商人の信仰を集め、二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財
131年成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神(大国主神)を祀ったのが草創。
現在の大嶋神社奥津嶋神社なのか、境内社の大嶋神社なのかは定かではない。
少し離れた沖島にも神社がある、どちらが由来のものかは諸説あり。
八幡山城(近江八幡城)
天正13年(1585年)に秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町。
形式:放射状式連郭山城と居館
現存遺構:曲輪、石垣、空堀、犬走り、居館
天守:15m四方の天守台があり天守がそびえていた?と推定
配置:本丸、二の丸、北の丸、西の丸、出丸がY字形に延びる放射状に配置
二の丸…八幡山ロープウェーの八幡城址駅があり、展望館も建設
石垣
山城部分は総石垣作り
石垣は『岩倉石工文章』によると、南方約4kmの地にある岩倉山から?
転用石は多そう…礎石の中には五輪塔や宝篋印塔、層塔などの流用礎石を用いたもの。石垣の中にも含まれている。
各曲輪の石垣の隅部分は算木積み
隅部分の石垣以外は粗割石か自然石

京都より移築された瑞龍寺の門が八幡山城の本丸虎口…秀吉の姉が開基のお寺

「雉城」状の突出部や矢穴石垣は、天正期の他の織豊系城郭に見られず、文禄・慶長の役の倭城やその後の国内城郭に多く見られる手法なので、京極高次の改修とも?!
城下町整備
安土城の城下町の町民を移して町づくりを始め、近隣の町村からも移住を促した
横筋4通り、縦筋12通りを中心に碁盤目状
八幡山城下町は、商業振興第一主義に切り替えた平和的な政策
職人…東から二筋を大工町、鍛冶屋町、畳屋町、鉄砲町など
商人…三筋目から西へ十筋を、仲屋町筋、為心町筋、魚屋町筋、新町筋、小幡町など


八幡楽市楽座
この地より近江商人が出て全国に発展することになり、この時の八幡楽市楽座令が基礎を築いた!
関連城主
羽柴秀次と近江八幡 (秀次と表記)
1585年(天正13年)の紀州攻め、四国征伐で副将格で戦陣に入り武勲を立てた秀次、8月23日の論功行賞で近江八幡43万石に!
安土城の隣地に八幡山城を築き、安土城の建物や城下町を移築
豊臣秀吉は八幡山城を安土城に替わる近江国の国城として、豊臣秀吉自身が普請の指揮
山頂の城郭と麓にある居館、そして安土城から移築した城下町の造営
山の斜面を充分活用できず麓の居館が城の中心となった
居館跡から多数の桐紋の金箔瓦が出土している。金箔瓦には安土城、大坂城とよく似た形状の巴紋瓦もある
秀次は18歳でここ八幡山城に入城
1590年小田原征伐 山中城攻撃は秀次が大将。半日で陥落させる大活躍。
1590年(天正18年)に尾張国清洲城へ移封に…
羽柴秀次の人生と悲劇 ~実は4回も改名~
秀次は、秀吉の姉の長男。幼少期、2つの家の養子・養嗣子になっている。
1度目 浅井長政家臣 宮部氏…養子に。
2度目 三好康長…養嗣子に。 三好信吉と名乗る 三好家臣団から引き抜き 若江八人衆
すごいのが、農家の子が名家三好家を継いでいるという事実。秀吉の策によるもの。
転機は、秀吉に長男・鶴松誕生も、早逝…。秀次が秀吉の養嗣子、関白になったことから…
秀吉は天下人に… 秀次も羽柴姓に戻される!
秀頼誕生で跡継ぎのライバル的存在になりうる…?関係は良好だった?
諸説あるが、事実としては秀次は強制的に出家させられて高野山青巌寺に蟄居となった後に切腹させられる。
秀次の首は三条河原で晒し首とされ、その際に眷族もまきこまれる。
幼い若君4名と姫君、側室・侍女・乳母ら39名の全員が斬首となる。
不憫な死
最上義光は娘・駒姫を秀次の側室に差し出していた
事件が起こった時にはまさに上京したばかりで秀次の寝所にも入っていなかった。前田利家、徳川家康らが助命嘆願したが、ほかの妻妾と同じように三条河原で処刑された。あまりに不憫なので最上義光は難を逃れる
生存者
淡輪徹斎の娘・小督局との娘で生後1ヶ月であったというお菊:母の従兄弟・後藤興義に預けられて助かる。
他、後に真田信繁の側室・隆清院となった娘とその同母姉で後に梅小路家に嫁いだ娘
秀吉は、秀次の痕跡まで消し去ろうと聚楽第や近江八幡山城の破却を命じる。
聚楽第の堀は埋め戻されて基礎に至るまで徹底的に破壊され、周囲の諸侯の邸宅も同時に取り壊された。現在の京都に、聚楽第の遺構がほとんど全く残っていないのはこのため。
京極高次
秀次が転封後、2万8千石で入城。
しかし、1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹すると、築城から10年しか経っていないのに八幡山城は廃城に。
京極高次は大津城へ異動。
近江八幡山城の部材の一部を大津城に移築したという説も。
関連文学作品(大津城)
今村翔吾先生「塞翁の楯」
大津城、石垣職人集団:穴太衆の作品!直木賞 滋賀出身の今村先生は、歴史大好き本大好きな先生。歴史愛だけでなく石垣愛も伝わってくる素晴らしい作品。ぜひ、読んでほしい。滋賀のいろんなお城も出てくる。個人的には京極高次との出会いのシーン、印象に残っている。
八幡山城:アクセス
ロープウェー推奨!山城部分はかなり登ります…
おとな : 片道540円、往復950円 こども : 片道270円、往復480円
八幡山ロープウェー:山麓から山頂まで約4分
近江八幡駅北口6番乗り場より近江バス「長命寺行き」乗車約7分
「八幡堀(大杉町)八幡山ロープウェー口」下車 徒歩約5分
駅からは、歩くと距離を感じる(散策しながらだとストレスは少ない)

近江八幡堀
天正13年(1585年)秀次が八幡山に城を築き開町。
八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させる。
秀次時代:往来する舟は八幡に立ち寄らなければならない決まりがあった。
八幡堀(全長4,750m)は交通路や生活の場に。
堀幅11-18m、深さ1.4m
江戸時代
北前船の開設により急速に減退
昭和30年代
八幡堀は市民にとって忘れ去られた存在となり、やがて無用の長物から公害源になってしまう
昭和40年
八幡堀に堆積したヘドロは1.8メートル、総量50,000立方メートル、蚊やハエの発生源や市民による不法投棄の場所
昭和47年
近江八幡青年会議所が「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」
観光目的ではなく、今現在、我々が存在するのも八幡堀があったからであり、まちの歴史が詰まった堀を守らなければならない!活動開始
昭和50年
「死に甲斐のあるまち」をまちづくりのコンセプトにした新たな運動
毎週日曜日に会員自らが八幡堀へ入り自主清掃
ロケ地
水戸黄門、遠山の金さん、銭形平次、暴れん坊将軍 、必殺仕事人、八丁堀の七人、るろうに剣心、NHK朝ドラ
八幡堀遊船
堀を遊覧♪
乗船料/大人1,500円、小人1,000円
和舟に乗っておよそ30分で遊覧
JR近江八幡駅から近江鉄道バス(長命寺行)で約7分、八幡堀(大杉町)八幡山ロープウェイ口バス停下車すぐ

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
1905年(明治38年)にYMCA派遣の英語教師として来日
生徒のキリスト教青年会(YMCA)活動を通して滋賀県内の伝道
建築事務所「ヴォーリズ合名会社」、近江兄弟社グループを築いた
建築設計は学生時代の独学?!
メンソレータムを広く日本に普及させた実業家
現在はロート製薬の商標、近江兄弟社は「メンターム」として販売
「天皇を守ったアメリカ人」でも有名。
太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力。
関連建築
関西学院大学(兵庫県西宮市)
近江兄弟社中学・高校(滋賀県近江八幡市)
日本基督教団 大阪教会(大阪府大阪市)
神戸旧居留地38番館(兵庫県神戸市)
※米国で主流であったコロニアル・スタイルやスパニッシュ・スタイルなど様々な様式を取り入れた。

近江商人
「三方よし」の精神を基に、売り手、買い手、社会全体の利益も考慮する経営理念。
江戸時代から明治時代にかけて最盛期。
現代の企業の社会的責任(CSR)の考え方へ通じている。
近江八幡出身の創業者
西川甚五郎
西川産業の創業者。畳表、蚊帳、数珠、灯心などを扱い、御三家の一人
西川庄六
西川庄六商店の創業者。畳表、蚊帳、数珠、灯心などを扱い、御三家の一人
森五郎兵衛
森五郎兵衛商店の創業者。畳表、蚊帳、数珠、灯心などを扱い、御三家の一人
初代伊藤忠兵衛:犬上郡豊郷村出身 伊藤忠商事と丸紅の創業者。近江商人の経営哲学「三方よし」を基盤に事業を展開
豊田利三郎:彦根出身 トヨタ自動車の初代社長。近江商人の流れを汲む人物
広瀬宰平 :野洲郡出身 住友財閥の初代総理事。住友グループの発展
伊庭貞剛 :蒲生郡出身 住友財閥の2代目総理事。近江商人の典型
塚本幸一 :仙台出身 滋賀県立八幡商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)卒業
ワコールの創業者。社名は「江州に和す」から
堤康次郎 :愛知郡出身 西武鉄道、西武グループ、セゾングループの創業者
飯田新七 :高島郡出身 高島屋の創業者。社名は高島郡から
関連文学作品(近江八幡)
司馬遼太郎 街道をゆく
司馬遼太郎は、その理由を民家のたたずまいや、近江門徒という精神的な土壌、風土から語る。かつて神崎郡金堂で作家・外村繁の生家を訪れたことに言及し、近江商人への関心を示す。関ケ原の不破関資料館に立ち寄った後、近江
へ引き返し寝物語の里をめざす。中山道柏原宿でもぐさ屋「亀屋佐京家」に立ち寄り、近江人の商売の極意を考察。
彦根城を見て、築城した井伊直勝と直孝父子、同朋衆の金阿弥を思う。翌日、姉川古戦場で浅井・朝倉と織田・徳川の合戦を思い描き、国友鍛冶の村で鉄砲伝来と信長との関係に思いを至す。中学の時に見た風景を期待して安土城趾山頂まで登るが、かつて見えた湖は消えていた。琵琶湖の埋め立てと日本の土地問題を考える。近江八幡市で水郷めぐりをしながら、琵琶湖に息づく生命のつづくことを祈りつつ旅を終える。
外村繁(とのむらしげる)
出自である近江商人の世界を客観的に描いた『草筏』で注目され、『筏』『花筏』と共に長編三部作を成して高く評価
第5回池谷信三郎賞を受賞
近江八幡グルメ
カネ吉山本 本店
駅から近い 近江牛コロッケがおすすめ 食べ歩きに○ 近江牛が手軽に楽しめる
二兎醸造
クラフトビール製造会社です。バーやレストランへの卸の他、工場内でもスペースを設けて生ビールを飲める ボトルビールの販売有り
十人十家Cafe&Bar (ヴォーリズ建築)
築100年のヴォーリズ建築を改装!
居心地の良い空間で味わう生パスタを使ったイタリアンや近江牛、レトロなデザートが自慢の隠れ家的Cafe&Bar。
ほりかふぇ
びわ湖産天然湖魚や、近江牛・近江米を使用したほりかふぇこだわりのお食事
市
昭和62年創業のお店「市」。お昼はうどんや定食など、夜は滋賀県ならではの居酒屋メニューが人気。いつも元気
な肝っ玉お母さんが出迎えてくれます。中でもおすすめなのが近江牛がたっぷり入ったうどん。ここでしか味わえ
ない、秘伝のダシを使用
まるたけ近江西川
広大な自家牧場にて、繁殖から肥育までを一貫管理。手塩に掛け育てた極上の近江牛が自慢。1Fはレストラン、2Fは座敷。直売部では進物用に近江牛の購入が可能

たねや(クラブハリエ)
以前は穀物や根菜などの種を売る仕事を、さらにさかのぼれば江戸時代には材木商をしていた!
1872年 七代目当主 山本久吉、京都亀末にて修業の後「種家末廣」の屋号、旧八幡町池田町の地に、菓子業の初代として創業。
後、屋号を「種家」と改名。
たねやが創業当時からつくりつづける名物:栗饅頭と最中
たねやといえばクラブハリエ…?洋菓子との関係は?
滋賀県近江八幡で店舗を構えたたねや。向いにアメリカ出身で建築家でもあるウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏が住んでいた!
当時としてはめずらしく庭にテーブルを出してパーティーをする様子や、3時になるとクッキーやパイなど見たこともない菓子が並んでいる様子をみた先代は「これからの時代は洋菓子」と和菓子店舗一角で洋菓子の販売を開始!
1951年、洋菓子部門を設立 後、株式会社クラブハリエ設立となる。

彦根編

彦根城
城下町の構造:守りに徹しているので道の曲がり角等にも注目!
※そもそも、碁盤の目の町割りな近江八幡、八幡山城が特殊。
城は国宝。コンパクトながら防備の工夫は数多…日本城郭で数例の登り石垣も探してみて。
何気なく歩いているが実は傾斜(坂道)というところにも気を配ってみて!
ひこにゃんは城の観光や城の認知で大活躍!

滋賀のお城事情
石垣等は再利用しているのが実情!
彦根城を知る=滋賀、今は姿の見えないお城の痕跡が!
安土城、坂本城 天主、天守をもつ城…信長、明智光秀
本能寺の変で一変、安土、坂本は城の機能が失われていく。
安土の城下町・町民は近江八幡へ移す方向に 移民政策、秀次の楽市楽座
坂本城の資材等は、京極高次によって大津城に転用…
八幡山城から異動の京極高次、資材を利用し大津城に運んだ?!
その大津城も必要性の問題などから廃城になる。資材は彦根城へ…
関ケ原の戦い後、石田三成居城の佐和山城も廃城。石垣など資材は彦根城へ…
彦根城は、徳川にも気に入られた井伊家の居城。江戸時代も存続、天守も現存!
湖上の城郭は不明な点も多い。研究が進んできた明智光秀の坂本城、2022~2023年1月には新たな発見もあり、期間限定だが大津市歴史博物館で発掘成果の展示パネルも…!

彦根グルメ
すし浜
創業70年以上、親子3代にわたって紡がれてきた大衆食堂「すし浜」。 名物のおばあちゃんや店内の雰囲気がどこか懐かしく、心地の良い雰囲気が漂う。
約10年前に生まれた彦根のご当地グルメ「ひこね丼」の1つ「ひことろ丼」がおすすめ。近江米に牛すじ煮込と赤こんにゃくをしっかりからめ、さらにそれらをとろーり温泉卵が包み込んでいる丼
ちゃんぽん亭総本家 彦根駅前本店
創業60年、彦根市を中心とした滋賀のご当地グルメ「近江ちゃんぽん」が食べられるお店「ちゃんぽん亭総本家」。
「近江ちゃんぽん」は、長崎県などの「ちゃんぽん」とは全く異なる。細麵を使い、京風だしをアレンジした和風醤油味のスープに、野菜や豚肉などの具材をたっぷり入れて煮込んだ逸品
近江牛と近江地鶏の店 近江や
三成醤油プリンがおすすめ
石田三成愛の強いお店、マスターのキャラが面白い
彦根の鬼門にある佐和山城の治部様こそ大事に…というお話も。
近江牛をリーズナブルな価格でいただける貴重なお店。

武将の○○な話
豊臣秀次には多数の側室がいたという話から、側室の多い武将についてもおまけで調べてみました。武将の台所事情はそんなに楽でもないという話もあるので、たくさんの側室が抱えられるのは財力のある武将さん。細川氏のように身内からの養子大作戦で生き延びた家も有りましたが、江戸期は規制が厳しく、跡継ぎがいないとお取り潰しにあう恐怖がありました。特に、大奥ができた江戸時代の将軍家はさすがです…
側室たくさん♪
織田信長は正室のほかに、11人の側室
豊臣秀吉は正室のほかに、13人もの側室 お手つきは300人という説も…
豊臣秀次は正室のほかに、33人もの側室
徳川家康は正室の他に21人の側室 子は17人
徳川家斉は正室の他に16人の側室 子は50人を超える
徳川家慶は正室の他に8人の側室 子は23人
※家慶の場合、夭逝により成人したのは1人
近江八幡で記載した悲劇の秀次さんは、嫁34人という…※数字は諸説あります
正室だけ愛してます?!
黒田官兵衛 キリシタン大名
蒲生氏郷 キリシタン大名
石田三成
池田輝政 2人の側室がいたが遠ざけている
藤堂高虎 「45歳までは」側室なし
明智光秀 ふさという側室がいた説もある
近隣の聖地巡り紹介:豊郷小学校

文学作品も有名なものが多い滋賀。深夜アニメで一世を風靡した京アニの作品関連も紹介。近江八幡、彦根からは車で行く場所、豊郷小学校。
滋賀といえば「とびたくん」が有名だけど…そのとびたくんも可愛くなっちゃった豊郷地域…
京アニの傑作「けいおん!」。
けいおん! は、女子高生唯ちゃんをはじめとしたゆるかわ軽音楽部のアニメ。京都市内のJEUGIAさんなども描かれている中で、学校の描写に登場しているのが…豊郷小学校のレトロ校舎。階段の手摺にいる亀などの生き物や、実際にけいおん空間を再現してくれている音楽室に、ファンもうなる…けいおん部屋。
作中にでてくる放課後ティータイムというバンド名のように、音楽の合間にお茶会をしているシーンが結構ある。このレトロ校舎は、現在は小学校としてでなく、地域の方に貸したりイベントをしている「地域連携」「観光資源」の施設に。けいおん大好きな私は3回以上…行った笑 けいおん!の世界観も必見、そしてこのあたたかく優しい木造校舎の雰囲気も楽しんでいただければ…!
まとめ
滋賀の琵琶湖南側地域、大津~近江八幡~彦根~豊郷を1泊2日で過ごすのは楽しい。公共交通で行く場合は大津から彦根まではそんなに難易度は高くない。豊郷だけは車の力をかりたいところ。ちなみに、今回「文学学校のための1泊2日観光&歴史解説」カスタマイズをしている。今回の旅の関連作品は最新のもので2024年発表の宮島未奈先生「成瀬は天下を取りに行く」、直木賞にもなった今村翔吾先生「塞翁の楯」、ファンの多い司馬遼太郎先生「街道をゆく」、近江商人の精神を感じる外村繁先生「草筏」。アニメ作品「けいおん!」と、有名な作品が多数あるのも魅力的な地域。映画でも「翔んで埼玉~琵琶湖より愛を込めて~」は滋賀のディープなネタが多数盛り込まれている。作中では平和堂の存在感あり、いまや全国区の知名度とび太くんの大活躍。平和堂はただのスーパーではない。土産物屋が少なく観光地化がさほど進んでいない地域でも、滋賀のおいしいものをお土産として買うのにおすすめな場所。サラダパンや赤こんにゃくなど地元でしか手に入らない美味しいものや気軽に配れるお土産を買うのによく寄り道してしまう。
関連する歴史上の人物、今回は旅の行程から外れた安土の織田信長や坂本の明智光秀、佐和山城の石田三成、小谷の浅井長政など除いても、豊臣秀次や京極高次、井伊直政など。「近江のお城あるある」を十分に感じることのできるエピソード満載の武将が多いこともこの地域のすごいところでもある。
文学のネタでまとめていくと、古代から交通の要衝にもなった淡い海→淡海→近江地域。万葉集や平安貴族たちの和歌でも多数題材にされたのが琵琶湖の描写。2024年の大河ドラマの主人公紫式部のお話でも、道長様との出会い等、鍵になった場所は「石山寺」だった…。
滋賀の旅について書いている私、かにかまは滋賀の人間ではない。ただ、学生時代京都は山科で4年過ごさせてもらったので、「滋賀」は身近で近い存在だった。島根県出身広島育ちで海は身近な存在の私にとって、「海が近くにない」京都での4年間に違和感があったのは事実。琵琶湖は、まるで海みたいに広く、とても癒やされた。滋賀をもっと知りたいと思うようになった理由かもしれない。

