戦以外に生き残る手段がある!国人衆から中国地方の雄となった毛利の戦略

日本三大謀略家としても名を連ねる「毛利元就」。拙者がすごく尊敬している戦国武将の一人であります。

戦をして勝利をおさめるのも大事ですが、毛利元就が生きた1497年~は北に尼子経久 西には大内義興・義隆。東に行けば宇喜多が・・・。例えるなら、地域で頑張る零細企業の社長さんがたくさんいた安芸高田。力攻めだけでは兵も辛い。そんな地域、中国地方。

そこで、お城一覧 広島編を作成してみました!

今回も非常に興味深い事実が浮き上がってきました!

広島は74城入力(参考:ニッポン城巡り)

国によっては40城程の都道府県もあるのですが、多い!広島県。公共交通ではリア攻めが難しいお城が多い様に感じています。

中国山地の影響が濃い地域は、鎌倉時代から室町時代にかけての中世山城〜戦国時代の山城へリニューアル(改修)といった形跡が見えます。

厳密には安芸・備後の2国有りました。 尼子 大内の影響も濃く見られますね…

とは、いいますが・・・・ やはり気になる「毛利」の文字。多い・・・!

山城を堅城にする要素、毛利式畝状竪堀にあたるような遺構もありますね!

いつものように 抽出をしてみました。

毛利関連のお城 (※空白セルで ① ② ③に分かれています)
① 毛利が築城 7城
② 毛利氏が途中城主で入る、もしくは家臣に守らせる 11城
③ 毛利の侵攻に遭った城 15城

 

74ある中で 33城の影響力…これは只者ではない…

なぜそれができたのか。

※細かな字で大変だった皆様、画像をクリックすると大きく拡大できる仕様ですのでぜひお試しください。

毛利はそもそも小さな国人領主でしかなかったんですが、大内VS尼子という戦が展開されているために、近所の零細企業…国人領主たちと小競り合いをしていると潰されてしまうと感じていました。

そこで、安芸国の国人領主は寄り集まって国人衆として大きな勢力に負けないように対等な関係性をつづけてきました。

とはいっても、大内や尼子から戦に加勢するよう要請がくると、「そのときはどっちについたら勝てる?」などと知恵をめぐらして 「今回は尼子」「次は大内」など、流動的に選択するので、結果として周辺と争うことになりました。今回の表でも、「大内」→「尼子」など、その時にあわせて移り変わる様子が見受けられます。

※他府県は決まったパターンがありましたが、毛利自身が大内についたり尼子についたりしているのでよく読み込まないと、尼子か?大内としてなのか?戦の立ち位置がわからなくなります。(難しかったです😂)

そのような中で毛利の戦わずして勝つポイントを一言で言いますと 

「平安貴族の藤原氏」を彷彿とさせる…「姻戚関係」

対吉川氏

周辺の国人ら「吉川氏」に関しては、吉川興経の叔母が元就の妻。興経への家臣らの評判が落ちているのを利用し、自らの二男元春を養子にするよう迫ります。

興景には千法師という息子がいるのですが、まだ元服もしていないので、仕方なく「ゆくゆくは千法師へ家督を」という約束で元春を受け入れます。

そこでハイハイという元就ではありません。元春を当主としておきたかったので千法師を殺します

かにかま「容赦ないですね~」

対小早川氏

では、「小早川氏」はどうしているでしょう。この時「竹原」「沼田(ぬた)」に分かれています。

こちらは、元就の兄興元の娘が、「竹原小早川氏」に嫁いでいます。それを利用し、今度は鏡山城の戦で討ち死にした興景のところへ養子として継がせることに成功しました。…興景には継嗣がありませんでした。

その後、元就が狙っていた「沼田」の方でも、当主繁平が眼病により盲目のために、対尼子戦線を張るには心もとないといった意見が浮上しました。当時は毛利氏は「大内氏」と仲良くしていましたので、共謀し、繁平に因縁をつけて竹原の小早川隆景が沼田小早川家とまとめることで話をつけました。

「繁平は、尼子に内通しておるぞ!けしからん」

そんな話をねつ造したとか・・・・。恐い、怖すぎる元就さん。敵に回したく有りませんね。

※兄興元は若くして亡くなっています。(死因がお酒によるものとも)次男の元就が若くして毛利家を継ぎました。

※広島では普通の、沼田を「ぬた」と読んでしまう習慣。他府県では普通ではないようです!😂 広島人で、三原地域など小早川ゆかりの地域の方か、見分けるポイントかもしれません^ ^ (職場で使える豆知識)

対宍戸氏

そして、対立していた宍戸家については…

宍戸隆家の代で「和解」します。その際に、元就は可愛がっていた娘を嫁がせます。

女子が生まれましたが、次女は吉川元春の嫡子元長へっ三女は毛利輝元へ嫁がせます。いとこ同士で婚姻させ、宍戸家との結びつきはより強くなりました。

元就の婚姻政策は非常にわかりにくいと思い解説を入れてみました。

実は他にもすごい戦略はいっぱい有るのです・・・。


引き続き、別記事にて紹介します!

以下予告!(近日中公開!)

安芸武田氏とは?

周辺にいた国人衆とのかけひきを見える化!?

冒頭の写真は・・・

毛利元就本拠の城 吉田郡山城でした

ここは、曲輪が多く守りに適した堅城です!登城路として足元の危険な尾根沿いがありますが、一歩間違えると急峻な斜面に落ちてしまいます。当時囲んだ尼子軍の大変さも体感できますよ!

kanikama

中学生のころからハマった歴史。特に当時いちばん近くにあったのが「広島城」。原子爆弾の凄まじい爆風を耐え抜いた石垣に惚れ込み、「最強の野面積み」を眺めることから城へ興味を抱くきっかけとなり、大学でも歴史を専攻。文書から見える歴史だけでなく、フィールドワークで得た体感を大事にしながら「よりリアルで背景とリンクした考察」めざして今にいたる。

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