天下人に近い豊臣秀吉と明智光秀、二者の違いを考察!

天下統一間近まであと少しだった織田信長は、守護代の家系。生まれながらの資質や能力はもちろん、京からの適切な距離や、(近すぎても敵が多く大変。例.三好長慶)生まれた時期も奇跡的なタイミングだったと言われています。

では、明智はどうでしょうか。秀吉は?今回は、謎多き出自の彼らがどのように出世し、天下統一へ近づいたかをあらためて書いてみようと思います。

史跡、お城巡りの参考になるよう、関連のお城はまず記載しました。並べ方は、上(古)→下(新)の順番です。

明智光秀の努力

マインドマップにて整理。不明な点が多いのでどうしても情報量が絞れてしまいますが、このようになりました。

士官先が、斎藤家→朝倉家→足利義昭→織田信長 と、ざっとこのような感じです。朝倉時代は諸説ありでよくわかりません。

※抜粋版ですので、詳細は記載を省いています

坂本、福知山など、今でも地元の方にファンが多く居ます。これは天下人に必要な資質です!これだけ様々な戦場に行っていたら、領国経営にかける時間を捻出するのが至難の業かも。

政策面にも注目!

中途採用組の明智光秀は、お家柄や出自に不明な点も多い武将。後ろ盾を当てにすることが難しい中、家臣が、戦に巻き込まれて亡くなった際も、近江の西教寺にて供養米を納めるなど、こまめな気遣いをしていたことも言われています。

福知山での川の増水による領民の悩みから、川のかけかえをし、500メートルほどの堤防を築きました。現在も、北側が残り、雑木林は「明智藪」とも言われています。

※明智光秀が農民?に刺されて亡くなったとされる「竹やぶ」の推定場所:京都の小栗栖にも「明智藪」と呼ばれている場所があります。様々な見解がありますが、今の所は、「明智藪」は、2つあるようです。お気をつけて~。


秀吉編

※これでも、抜粋版😂 あまりに長大となってしまったので3部作でお届けします。

一国一城の主となるまでにかなりの年数を要しました。最初のお城は「 長浜城 」でした。城下町の整備に取り掛かり、勢力を拡大する基盤ができ、より活躍することになります!

政策関連…秀吉は土木オタク?

大坂の町の整備に関係したところでいうと、淀川の河川工事が有名です。古代から「河内湖」があった地域。全27キロにわたる連続した堤防「文禄堤」によって、河川の氾濫を防ぎ、堤防の上は京街道として大坂と京をつなぐ最短で安心な道となりました。物流でも大活躍したと言われています。

この土木オタクの彼。水攻めが得意でした。なるほど、土木の技術はそこで生かされているのですね。

参考資料 織田家の家系図

柴田勝家との確執あたりからでてきます、織田信長の息子、そしてご兄弟。えっ! となった方、参考になれば。

※ 後ほど秀頼の代で出てくる大坂の陣で、織田の生き残りといわれた織田有楽斎は、信長の弟。

当時は、正室(いわゆる正妻)の子でない場合、先に生まれていても家を継ぐ時の順位や地位を後ろにされる事がありました。子沢山だからこその悩みですが、信長は実はお兄ちゃんがいた!

※秀吉の場合は、正妻の間に子がなかったため側室の淀君との間の子鶴松や、秀頼(拾)が後継者候補に上がっています。

比較からの発見!

同じ情報量を意識して作成したところ、このような違いがありました。明智も、秀吉も、出自は不明な点が多いのは同じですが、秀吉が大きくリードしている点はいくつか見受けられます。

  • 秀吉:親族、特に 兄弟は秀長、甥の秀次など、血縁関係のある者がサポートしてくれています。
  • ✕ 明智:血縁者の叔父やいとこの帰蝶がいますが、皆それぞれ斎藤家の戦乱で巻き込まれ戦死。本能寺の変の時も味方だった明智秀満(左馬之助)は、光秀の娘婿。血縁者では有りません。
  • 秀吉・明智:同じくらい、過酷かつ重要な戦に関わっています。連戦も遠征もしています。
  • 秀吉:戦のあと、功を認められて、所領や拠点を得る機会が多い(例:姫路城の明け渡し)
  • ✕ 明智:丹波という難しい場所をもらっているので、国衆の理解を得てすすめる必要、難易度はかなり高い。
  • 秀吉:実子は少なかったけれど、有名どころの家臣の数が多くいます。播磨攻めでは地元に強い黒田官兵衛や、竹中重治が軍師であったのは大きいかもしれません。養子という形も厭わず、妻ねねのサポートで「子飼いの武将」を育成していました。(例:賤ヶ岳七本槍)

関連史跡情報(秀吉関連)

※明智は別記事で紹介しています。以下ボタンから!

名胡桃城址 (伸弘殿より情報提供)

小さいけれど武田流の築城術が引き継がれていました。入れ替わりの激しい場所だったようです。小田原戦線の際、秀吉側の真田勢が奪われて取り返しに行ったお城です。

アクセス:駐車場○ 無料 観光案内所も目の前 公共交通は▲ 車をおすすめします。


墨俣一夜城址 (探訪済み)

天守は、完全にイメージで作られていますが、内部が資料館になっていてわかりやすい展示です。エリート武将佐々成政が失敗した墨俣を秀吉がやり切ったという逸話もありました。

アクセス:駐車場○ 無料 公共交通は▲ 川沿いの道なので、ナビ必須


小谷城 (探訪済み)

急峻な崖みたいな箇所も多く、難攻不落

車である程度上がれますが、(土日祝、昼間はバスしか上がれなくなります)そこからはがっつり登山となります。

そして、麓の資料館には模型がわかりやすく展示されているので、全体のイメージをもってから探訪することをおすすめします。拙者は初回探訪が夕方になり、その日は途中までしか行けず涙。日を改めて別日にしっかり上がっております。

本丸まではそんなに長い道のりではありませんが、そこから先を見てほしい!足元が危ないのでかための装備でいきましょう!

アクセス:駐車場○ 無料 公共交通は▲


長浜城 (拙者探訪済み)

今は復元の天守があります。駅前もきれいになっており、ゆかりの場所には丁寧な解説板も有り充実しています。鉄道がお好きな方は、鉄道遺産に係るものもありますし、観光しやすい場所です。

アクセス:駐車場○ 有料 公共交通○ 長浜駅から近いです

駅前に、人気の親子丼のお店がありましたよ!「とりきた」というそう。

※画像は、宏和殿より


竹田城 (拙者探訪済み)

天空の城とよばれ、雲海に浮かぶお城でも有名になりましたが、雲海の竹田城を眺めたい方は11月頃の期間に天候などを気にしながら早朝に探訪してみてください。個人的には、雲海に限らず晴れた日に城の全容を見渡し、縄張りの面白さを見つけていただけたら良いなと思います。石垣がかなり残っていて整備されているので石垣好きさんにはたまりませんよ~。羽柴秀長による改修といわれています。標高がかなり高く、こんな場所によう作ったな~というのが素直な感想です。

アクセス:駐車場○ 公共交通▲バスがあります。早朝行きたい方はマイカーで!


姫路城 (拙者探訪済み)

世界遺産、国宝、5重天守。とにかくレベル高い。扇の勾配(石垣)はぜひ見てください!天守閣や全体を綺麗に写真におさめるには、近くでなく、大手道の途中にあるビルの展望デッキをおススメします^ ^ 地元が姫路の友人から教えてもらってからは、季節限定のビアガーデンなどイベントも楽しんでいます^ ^姫路城みながらビールも🍺

アクセス:駐車場○ 有料? 公共交通○ 姫路城下は飲み歩きも楽しいので公共交通をおすすめします

(姫路おでん、ひねぽん、日本酒各種、播磨灘海の幸、練り物で有名なヤマサ蒲鉾さんも姫路、揖保乃糸も姫路)

(ヤマサ蒲鉾さんの「かにかま」といえば・・・サラダマリアージュ^^*ふわふわのほぐし身)


上月城 (拙者探訪済み)

こちらサイトにも紹介した、毛利対秀吉の戦にかかわるお城です。第一次、第二次と2回、戦が行われました。第二次は、織田信長側についた尼子方山中鹿之介らなどが城主で入っているときに起こったものです。織田も忙しく、山中鹿之介(幸盛)に援軍を出せなかったという悲しい話もあります。

アクセス:駐車場○ 公共交通▲


三木城 (拙者探訪済み)

三木は、川を天然の堀に見立て、堅い守りのお城でした。元々稲作にも適した豊かな土地でしたが、秀吉による兵糧攻めは大変厳しく、壮絶な城内の様子についても、資料があるようです。本丸にある資料館にて解説があります。

アクセス:駐車場○ 公共交通▲


鳥取城 (拙者探訪済み)

こちらも兵糧攻めされたお城。この石垣が有名になりましたが、城の心臓部分はさらに山を登った山頂にあります。色々な城を見て来ましたが、全く落とせる気がしません。三ヶ月で織田方へ降伏した城主山名豊国(因幡山名)。そんな態度をみた家臣らが不審に思い、吉川経家を呼んで秀吉軍に抵抗したことから、さらに過酷な干殺しになっていきました。

アクセス:駐車場○ 公共交通○


備中高松城 (拙者探訪済み)

こちらも秀吉と毛利の対立に挟まれたお城です。毛利は境目7城という拠点を意識して、宇喜多、秀吉に抵抗しました。こちらは、当時毛利が多く採用していた山城✖️畝状竪堀のスタイルではなかった平城。利便性のある場所なので重要どころでしたが、低地にあったので秀吉の土木魂に火をつけてしまったようです。今は、遺構をはっきりと見分ける事が難しい状態です。公園のようになっています。

アクセス:駐車場○ 公共交通○


7.19 現在 播磨〜中国が中心になってしまいました。

関連史跡があまりに多く、頑張ってあげていますがおいつきません。随時追加していきますのでお楽しみに~♪

kanikama

中学生のころからハマった歴史。特に当時いちばん近くにあったのが「広島城」。原子爆弾の凄まじい爆風を耐え抜いた石垣に惚れ込み、「最強の野面積み」を眺めることから城へ興味を抱くきっかけとなり、大学でも歴史を専攻。文書から見える歴史だけでなく、フィールドワークで得た体感を大事にしながら「よりリアルで背景とリンクした考察」めざして今にいたる。

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