【VS一色】丹後をとるのは誰?一色を解説!

京都の奥座敷丹後。古代からの遺跡や古墳も多く、様々な伝説が残っている地域です。また、古くから海の京都と言われていて、重要な拠点であった事もわかっています。

※今の京都府=丹後、丹波、山城の三国。

そんな丹後には、名家である一色氏がいて、勢力の強い細川氏の存在感。

戦国時代、お隣の丹波については、明智光秀の侵攻もあって、波多野氏や赤井直正など、土着の国人領主達が攻められて織田方に塗り替えられてしまいました。

しかし、丹後は?!それには、織田、細川藤孝、明智光秀らが関係するようです。

今回解説するのはそんな楽しい丹後周り!

一色氏を中心に解説しますね!

ワクワクしながら、まずは京都一覧!

(京都府のお城は、加筆して288城に!)

一色氏分析を更新しました 2021.11.27

① 一色氏の発祥は丹後ではなく三河

一色氏は、清和源氏である足利氏の一族です。

足利頼氏の兄弟、一色公深。彼が一色氏の祖です。

同じ兄弟からは、家氏が斯波氏、義顕が渋川氏、頼茂が石塔氏を名乗っています。

※ 管領家の細川氏も、もとは親戚筋です。

② 一色公深→範氏へ

建武三年、足利尊氏が九州に下ったときに従い九州へ。その後尊氏の上洛がかなったあとも、九州にて九州探題として、少弐氏・大友氏・島津氏らと共に南朝方勢力と戦いました。範氏には直氏・範光・範房の三人の男子が。
範氏のあとは範光→詮範と続きます。

③ 一色詮範の代から若狭国守護に

詮範は将軍足利義満に従って山名氏清を討ちます。(明徳の乱)

その功績から若狭国今富庄を与えれました。

守護職

一色詮範 → 一色範光 → 一色詮範

 応永十三年(1406)〜 一色満範に

④ 一色満範の代から「丹後国の一色氏」が始まる

1392年~1410年

一色詮範の子、一色満範の代には、丹後国守護に!
 こうして一色氏は侍所の所司となり、有力守護大名、四職家のひとつに。

※四職とは→赤松、山名、京極、一色をさす

⑤ 丹後、若狭の分裂から一色氏弱体化?!

一色満範の子持範義貫の時、丹後・若狭をそれぞれで分領。

理由 満範の遺領を二人が争う。結局、講和。

結果 一色氏の勢力は弱体化。

その後、義貫は幕府に背くことがあって、攻められて自害。(背いた理由をかく!)

一色義貫 ⇒ 甥の教親 継いだものの、わずか四年で死去。

一色教親 ⇒ 義直 丹後・伊勢守護に。

応仁の乱では西軍の山名方につきました。

理由 若狭守護武田氏が東軍に属していたから。

背景 武田氏との若狭・丹後をめぐる勢力争い。

戦後 幕府の権力は失墜、一色氏の勢力も衰退の一途

義直は若狭の武田氏とたびたび戦い、1498年 普甲山で戦死しました。

一色義直 ⇒ 義春 戦死。

一色義春 ⇒(義直の弟義遠の子)義有

1501年 若狭の武田元信が丹後守護に。

これに対して義遠・義有の一色氏は武田軍と戦いこれを破りました。

1521年 武田元信の死後、元光が丹後守護職を継ぐ。

1547年 武田元信は丹後に入国、一色義幸と戦う。

結果

この後、しばらく武田氏が丹後守護を歴任、丹後を支配しました。

⑥ 一色義道の時、vs信長! 1558年ついに一色義幸の子義道が丹後の国主に

守護職は武田氏ですが、実質的な丹後支配は一色氏にありました。

一色義道は、織田信長と対立して逃げてきた将軍足利義昭を助けました

それにより、信長と対立することに。

⑦ 細川藤孝の丹後侵攻

1579年 信長の命を受け細川藤孝が丹後に侵攻。

細川藤孝は、八幡山城(宮津)に陣を置きます。

対する一色義道の防戦は激しく、細川藤孝は丹波へ退き、明智光秀に援軍を求めています。

(力攻めでは及ばなかった一色勢力。)

細川藤孝は、一色義道の被官を懐柔し、一色義道の孤立化をはかりました。

(敵方の部下を手懐けてから攻めましたねー。)

1580年 細川藤孝明智光秀軍とともに、一色義道の居城、八田城を攻めます。

一色義道は負け、丹後守護所の詰城である建部山城も落城。

一色義道は但馬国の山名氏への亡命を企て、中山城沼田氏のもとに退きました。

途中、中山城に身を寄せましたが、城主・沼田幸兵衛は織田方に内応。一色義道は行き場を失って自害しました。

⑧ 一色再興なるか?

一色義道の敗死後、子の義定は残党を集め、丹後国与謝郡弓木に逃れます。弓木城がありますねー。

1581年 細川藤孝が攻め入ったが攻めきれません。

明智光秀の斡旋で細川藤孝の娘を一色義定の嫁にという条件で和睦します。

こうして丹後一色氏は、細川氏の支配下に入りました。

⑨ まさかの一色義定謀殺で急展開

和睦し細川氏支配下に入った丹後一色氏でしたが、もう一波乱ありました。

1582年 一色義定は謀叛ありとされ、細川氏の館で謀殺されてしまいます。一色義定のあとは、叔父義清が当主となりました。

一色義定を殺された義清細川氏と戦をします。

1583年 細川氏に攻められ、激戦となります。

結果 一色義清下宮津の海岸で戦死

ここで丹後国の一色氏は滅亡しました。

⑩ 若狭国の一色氏はどうなった?


一方、一色義貫を祖とする一色氏をみていきます。

一色義貫の弟持範は、若狭守護職でしたが、

1441年から、守護職を武田信賢に奪われ…

代を経て一色藤長に。(ふじなが)

一色藤長は足利義昭に仕えていましたが、足利義昭と信長の対立後は織田信長・豊臣秀吉に仕えます。

おかげで、丹後宮津城主となっています。

※ ちなみに、一色義道は信長と対立したため、すぐ戦になりました。


1600年 一色藤長は、関ヶ原の戦いで西軍石田三成に与しました。そのため、細川藤孝の子忠興に攻められて殺されてしまいました。

一色藤長の子範勝とその子範規は、家康に従ったので家名を存続することができましたが、範規の孫の代に断絶。所領は没収されました。

※人名や城名の漢字は諸説あり。

☆今回実際に城攻めしたルートは以下☆


お城紹介(丹後)

弓木城 

一色氏最期の城(与謝野町)

現在は、北の曲輪群が学校に生まれ変わってしまい、お城の全容は把握できません。妄想で補うとかなりの広さであった事、堅い城であった事がわかりました。

① 摂関家である近衛家の所領、稲富保と名付け。

② 山田氏、稲富保から苗字をとって稲富氏へ。拠点に

③ 稲富二代目で、一色氏の家臣に。

④1582年織田信長の命令を受けた細川藤孝、忠興による侵攻。一色氏は弓木城に立て籠りますが、すぐに攻略されました。一色氏最期の地に。

稲富直家(4代目)は鉄砲の名手

主君である一色氏はこの戦で滅亡しましたが、彼は生き残って細川氏→秀吉→尾張徳川家の祖、義直に仕えました。

南北の曲輪群の間の道からみた南曲輪群(上記写真4枚目)は、階段状に組まれた土塁構造。大人一人がしゃがめるくらいの幅もあります。鉄砲の名手であった直家がいたことも加味すると、有効に使われたことが想像できます。

アクセス 

 ▲ バス停あり 車をおすすめします

駐車場

 ◎ お城の真横にあります。

所感 

本来の城域は広かったようですが、今は公園として整備され、わりとコンパクトにまとまっています。登城路も整備されており、登りやすくなりました。ただし、時期によっては藪があるため、気をつけましょう。


八幡山城(宮津市)細川藤孝が一色氏を攻めるために陣を置いた城

ガチの山城ですよ( ´∀`)

細川藤孝が拠点としたお城です^ ^

アクセス 

 ▲ 駅から離れた住宅街を抜けて、、、

駐車場

 ▲ 離れた場所に停めてから上がります。


宮津城(与謝郡)

アクセス

 ○ 賑やかな市街地にそっとあります。

  駅から遠く無いので歩ける距離

駐車場

 ✖️離れた場所に停めてから行くべし。


田辺城(舞鶴城)(舞鶴市)

こちらは舞鶴市にある、細川藤孝(幽斎)の城。

平城とあって、周辺は市街地になっています。城域は広く、交差点の目印に三ノ丸表記があるなど、お城があった事の名残りも。

築城は細川藤孝

1580年より縄張り開始、数年かけて完成。

1600年 石田三成による田辺城攻め。

    ※ この時、古今伝授を行う

1600年 関ヶ原の戦いにて細川忠興が東軍で活躍。

    →  細川忠興は豊前中津(大分)に。

アクセス

 ○ 駅からも近いですね!

  京丹後鉄道で探訪するのもありです。

駐車場

 ○ 近隣にあります(有料)


★秀吉配下大野治長に関連★

大野城

丹後、この地は、大野一族の出生地

大野治長の父道犬は、秀吉から1589年に泉佐野と大野で一万石余を与えられ、大野城を築きました。

道犬の妻大蔵局が淀君の乳母をつとめていたこともあります。

朝鮮出兵での活躍や、大坂の陣での活躍(秀頼側)も、武運なく殉じてしまった一族の城です。

コンパクトながら、こんもりした土塁や石垣があったことを思わせる石が。今は本丸の場所に神社があります。

アクセス 

 ▲ 公共交通

駐車場

 ○ 近隣に無料の駐車場があります。

kanikama

中学生のころからハマった歴史。特に当時いちばん近くにあったのが「広島城」。原子爆弾の凄まじい爆風を耐え抜いた石垣に惚れ込み、「最強の野面積み」を眺めることから城へ興味を抱くきっかけとなり、大学でも歴史を専攻。文書から見える歴史だけでなく、フィールドワークで得た体感を大事にしながら「よりリアルで背景とリンクした考察」めざして今にいたる。

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